書道のコラムです。


書道コラム

非常に真面目な書道の話です。(普段はもっと不真面目です。)


 

王羲之の謎

書をはじめて最初に知る書家がおそらく王羲之だと思います.まさに原点にして頂点,あらゆる書の規範を作ってしまったと言っても過言ではありません.唐の太宗が王羲之の大ファンであったために,王羲之の作品と共に埋葬された,という伝説的な話も手伝って,堂々とした書家代表です.

さて王羲之の時代は今よりかなり古く,4世紀前半であるため,当然他の書家に比べて謎が多いということが言えるわけですが,王羲之のものと伝えられるいくつかの作品を見る限り,どうも一本の柱で説明することは難しそうです.ここで王羲之の代表的な作品を挙げてみましょう.

どうでしょう,これらが一人の書家によるものだと言えるでしょうか.蘭亭序だけでも数種類存在し,十七帖も有名なもので上野本と三井本があることを考慮すると,これらを同筆と認めるのはいささか無謀というものではないでしょうか.

と上の議論は様々な本等でなされていることで,つまり蘭亭序こそ王羲之で,他は怪しいとか,喪乱帖が最上で,蘭亭序は王羲之のものではないという議論がなされるわけです.確かにもっともらしい説明のように聞こえます.先ほど言ったように,蘭亭序と喪乱帖が同筆とは普通の感覚では認められないからです.

それでは逆に,上記の作品に一貫する要素を考えてみます.特に王羲之以前の木簡のような書と何が違うのでしょうか.巷に言われる八面出鋒,絶妙なバランスで保たれる字形など,様々な人が王羲之の要素を考えていますが,私はリズムだと思います.つまりどこで筆が止まっているのか,ということです.ご存知のように,木簡の転折は丸いわけですが,王羲之の作品は転切における停筆が随所に見られます.今では転折で止まるということは当たり前なのですが,転折で止まると骨力が出るという発明こそ,王羲之の成果なのではないでしょうか.トン,スー,トンの三折法のリズムは唐の時代に開発されたと現代のある書家は主張していますが,明らかに上記の作品には三折法が現れています.これらは後世の臨書だから三折法が現れている,という意見もありますが,それは都合の良すぎる解釈,暴論ではないでしょうか.王羲之のことだから,二折法も三折法も自由に操っていたことでしょう.

話を戻し,上記の作品が同筆であると認めるのは苦しいという意見について,王羲之が様々な書風を持っていたとしたらどうでしょう.つまり停筆による骨力の発現を獲得したため,あらゆる書体,書風で書いても見栄えのするものになったのではないでしょうか.当時にしては長寿であった王羲之が,一つの書風にとどまり続けたと考えるのは無理があるかもしれません.

王羲之を探究することは,書自体を深く見つめることができ,書の上達につながります.研究対象として王羲之を見ることは書の学習に大きな効果があることでしょう.


(執筆担当: F. H.)

王羲之の臨書作品はこちら



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