書道のコラムです。
非常に真面目な書道の話です。(普段はもっと不真面目です。)
針切は平安時代末期に書かれたとされるかなの古筆です.針で書かれたような細く鋭い線からその名がついたとされていますが,他の古筆の例に漏れず,筆者も断定されておらず,謎が多いものです.
かな古筆と言ったら高野切か関戸本古今和歌集か,というところが有名ですが,針切はそれら他の古筆と比較して,字粒が小さい,線が細い,行が右に流れるなどという特徴があり,またその線の強さは特筆すべきものがあります.かな書の中では異質であると言えるのではないでしょうか.
そこで,針切の書かれた時代背景を考えてみます.平安時代前期,中期とは異なり,針切の書かれた平安時代末期は幽玄,儚さ,死生,もしくは無常などの美的表現がなされるようになりました.殊に式子内親王の歌
花は散りてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
(桜の散った木を見て,これというあてもなく空に目を移せば,空虚な空にただ春雨が降っている)
などに代表されるように,実にネガティブな感情の表現があります.そのようなネガティブな感情を美的表現に昇華することに,この時代の人は長けていたのです.
私はそのようなどこか陰鬱とした,それでいて美しい雰囲気がまさしく針切に漂っていると主張します.鋭く,時には消えそうな線,互いに接近する字と字,懐の狭い字形,そして行末にかけてのグラデーションとたたみ込みのリズム,これらの要素は平安初期,中期の古筆に顕著には見られず,やはり時代の要請があったと言わざるを得ないのです.
このような負の感情を基とした表現は西洋美術に多く見られますが,その性質は多少異なり,西洋ではその負の感情はありのまま描かれます.そもそも芸術の分野において負の感情を扱えばそれなりの質のものができるので,楽なアプローチとも言えます.しかしこの平安末期の場合,その負の感情を美しさ,格調に変換するという,非常に高度な取り組みがなされています.これこそ平安時代の偉大な発明といえるのではないでしょうか.
平安時代を解き明かす上で,文学,書,美術,歌に一貫する要素を探ることは重要で,特に書はその情報量の多さから最もその要素を特徴づけるものであると考えます.ただ書は実際に書かないと鑑賞することが難しい抽象的な芸術でもあります.真に平安の文学を研究せんとするならば,書の探究は必要不可欠ではないでしょうか.逆に真に書を極めんとするならば,その美の本質を突き詰めなければならないとも言えます.かな書を書く人は,できれば平安の美とは何かということを,決して感性だけでなく,時には研究的アプローチから考えるということを心がけたいところです.
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