書道のコラムです。


書道コラム

非常に真面目な書道の話です。(普段はもっと不真面目です。)


 

かなと色彩と本阿弥切


私は昔から色彩に興味があり,今も色彩に興味があるため,本を買ったりして勉強しています.しかし,色彩に興味を持つというのは男性では少ないようです.

古くはルネサンスの時代,絵画や彫刻について,造形派と色彩派の対立がありました.造形派は男性,色彩派は女性という組み合わせでした.時代を考えて当然造形派が優位だったわけですが,男性陣の中でも,一部の人が新しい波を求めて色彩派に移りました.その人達が印象派を作るわけですが,造形派・男社会の芸術アカデミーでは不遇な立場だったということです.しかし,この印象派の登場が美術を大きく進展させたということは言うまでもないことです.

一方東洋においては,インド・中国から端を発する一連の美術については,仏教の影響による彫刻文化の隆盛にともない,色彩よりも造形が優位だったのではないかと思います.書道についても墨一色で書かれているわけですから,色彩ではなく造形の芸術と言って良いでしょう.当然,簡単に染料が手に入らなかったという理由もあります.

ここで異質なのが日本なのですが,日本はなぜか全体的に造形よりも色彩優位のようです.平安時代に多くの色が開発されたということ,そしてその色を使って多様な色の服が開発されたということがあります.十二単というものは造形性の観点から言うとあまり面白みがないのですが,襲(かさね)により色彩に無限のバリエーションを作り,そこで個性を出そうとしていたわけです.

さて,本題の書道についてですが,中国の唐の時代まででは,「かすれ」が含まれている書は懐素の自叙帖かもしくは顔真卿の祭姪文稿あたりにとどまり,多くの作品にはかすれが入っていません.可読性を考えれば当然のことだと言えます.また,先の2作品は,自分の感情を思いのままに表現したものであるため,計算されたかすれというわけではありません.これに対し,高野切第一種に代表されるかなの作品はどうでしょうか.勅撰の歌集を書いているわけですから,大変正式な本であるにもかかわらず,多分にかすれの要素が入っており,さらにそのかすれは緻密に計算されています.平安人は黒一色でしか表現できない書の世界において,色彩の感覚を持ち込んで,更に作品として完成させたということです.これは日本の特異性と言えるのではないでしょうか.追い打ちをかけるように料紙というものが開発され,ここでも特殊な美意識がはたらいているようです.

古筆の中でも,特にこのかすれの秀逸な作品が本阿弥切です.紙面全体で見たときに,大変な立体感です.とても大きな壁面に書かれているようにも見えます.側筆を用いることで,かすれを出したいときに出すことができており,この技術力の高さには目を見張るものがあります.

現代の書作品を考えたとき,漢字でも,かなでも,また従来かすれが表現されてこなかった楷書・隷書・篆書についても,かすれという要素がほとんど必須になっています.かすれを学ぶときに,本阿弥切が絶好の題材になるのではないでしょうか.

(私はどうしてもにじみやかすれが多い作品が好きなので,そのような表現に頼ってばかりなのも良くないところかもしれません.)


(執筆担当: F. H.)

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